今日のテーマは「スーツの歴史」ということで、
今、私はロンドンのサヴィル・ロウに来ています。
ここは、高級紳士服のお店が立ち並ぶ、世界的に有名な通りです。
はっきり言って、高級すぎて店の敷居がまたげない…!
そんなお店ばかりがひしめき合っています(笑)。
サヴィル・ロウとスーツの価値観
庶民の私にとって、スーツといえば「頑張るサラリーマンの戦闘服」。
でも、この通りのスーツは、まったく違う世界のものかもしれません。
例えば、この通りのスーツ店の営業時間は、
平日9時から17時ごろまでで、富裕層向けのお店は日曜休みのところも。
つまり、一般的な会社勤めの人が買いに来られない時間設定なんです。
もう、この時点で「一体どんな客層なんだ…?」と、いろいろ想像しちゃいますよね。
この後、この通りのお店の価格帯や歴史、利用客層についても詳しく紹介しますので、お楽しみに!
スーツの起源は400年前!?
現在のスリーピーススーツ(ジャケット・ベスト・ズボン)ですが、
その起源は約400年前に誕生したと言われています。
当時のスーツの構成は、ジャケット・ウエストコート・ズボン。
ちなみに、ウエストコートは現在の「ベスト」にあたりますが、
ウエストコートのほうが、より格式の高いものとされていました。
ウエストコートが一斉に流行した理由
ある日を境に、イギリス中でウエストコートが一斉に流行しました。
なぜそんな現象が起こったのでしょうか?
当時のイギリス国王チャールズ2世は、
当時流行していた17世紀フランスの豪華なファッションを廃止したいと考えていました。
なぜ、フランス風ファッションを遠ざけたかったのか?
その背景には、イギリス国内の混乱とフランスへの反発がありました。
イギリスの混乱とフランスへの反発
当時のイギリスは、大きな政治的混乱の真っ只中。
- 絶対王政の宗教弾圧による不満が爆発し、ピューリタン革命が起こる。
- 王政が倒れたが、新たな政権も独裁化。
- 混乱の末、チャールズ2世が王政復古し即位。
さらに、
- 1665年:ペストの大流行
- 1666年:ロンドン大火
と、イギリス国内は荒れに荒れていました。
そんな中、宮廷で贅沢なフランス風ファッションを着ている貴族たちに、庶民からの反発が高まっていたのです。
特にロンドン大火の際は、「フランス人の放火が原因」というデマが流れ、
ロンドンのフランス人が襲撃される事件まで発生しました。
チャールズ2世のファッション改革
こうした状況の中で、1666年10月7日、
チャールズ2世は「フランスのファッションは着用しない」と宣言。
代わりに、**ジャケット・ウエストコート・ズボンの「スリーピーススーツ」**を導入しました。
当時の政治家の日記には、
「国王は、新しい服装の流行を作ると宣言した。それは”ベスト”だ。」
「貴族たちに倹約を教えるため、とても良いことだと思う。」
と記されています。
そして、そのわずか9日後には、
「宮廷の貴族はみんなウエストコートを着ていた。」
と書かれており、王の宣言の影響力がどれほど大きかったかが分かりますね。
スーツのデザインの変遷
最初のウエストコートは、贅沢な装飾が施されたデザインでした。
これは、当時の貴族たちが「富とステータスを誇示するため」に競い合ったためです。
しかし、この華やかなスタイルは約100年続いた後、シンプルなデザインへと変化します。
そのきっかけとなったのが、イギリス史上最もおしゃれな男と称される「ジョージ・ブランメル」の登場です。
イギリス史上最もおしゃれな男、ジョージ・ブランメル
ブランメルは、平民出身ながら、そのファッションセンスだけで上流階級に食い込んだ男でした。
- 名門イートン校に進学
- さらにオックスフォード大学を卒業
- 軍に入隊し、皇太子とも親しくなる
そして、ロンドン社交界でファッションリーダーとしての地位を確立しました。
彼は、当時の貴族の派手なフリルや装飾を拒否し、
**「シンプルで上質な服こそが本当の洗練されたスタイルだ」**と考えました。
彼の影響で、
- 濃い色の燕尾服
- 淡い色のウエストコート
- 白いシャツとクラヴァット
- シルエットの美しいパンツとブーツ
が上流階級の定番スタイルとなったのです。
ブランメルの没落
しかし、ブランメルは浪費癖があり、
上流階級の友人たちと同じようにギャンブルにのめり込んでしまいました。
結果、多額の借金を抱え、支払いができずフランスへ逃亡。
最後は極貧の中で生涯を終えました。
ジョージ・ブランメルの最期
救いの手を差し伸べてくれた人もいましたが、
結局、1835年に借金が原因で刑務所に収監されます。
そしてその5年後、無一文のまま梅毒による精神障害を患い、61歳で亡くなりました。
現在、ロンドンの高級アーケード街には、彼を称えたジョージ・ブランメルの像が建てられています。
スーツの発展と変遷
スーツといえば、シャツやネクタイ、ジャケットといったアイテムが基本ですが、
このアーケード街には、紳士の装いに必要なすべてが揃っていると言われています。
スーツはその後、19世紀に入るとフロックコートが普及し、
紳士の間で普段着として着用されるようになりました。
さらに19世紀中頃には、モーニングコートが登場。
これは当時、フォーマルではないとされており、前が短いため乗馬に適したデザインでした。
そして19世紀末には、現代のスーツと同じ形の「ラウンジスーツ」が誕生します。
当初は、スポーツや海辺などで着るカジュアルな服とされていました。
海辺でスーツ…今では考えられませんよね(笑)。
ネクタイの誕生
現代ではクールビズやカジュアル化の影響もあり、
「とりあえず会社のデスクの引き出しに1本ネクタイを入れておく」という人も多いですが、
そもそもネクタイはどのように生まれたのでしょうか?
ほとんどの歴史家は、ネクタイの起源を17世紀フランスの「30年戦争」と考えています。
当時、フランス王はクロアチア人の傭兵を雇っており、
彼らは制服の一部として首に布を巻いていました。
その目的は、上着の襟をしっかり結ぶためだったのですが、
その姿が非常に美しかったため、フランス王はこのスタイルを気に入ります。
そして、クロアチアに敬意を表し、**ネクタイを「クラヴァット(Cravate)」**と名付けました。
以降、フランス王は王室の集まりでクラヴァットを必須のアクセサリーと定め、
その影響で、クラヴァットの正しい結び方に関する書籍が次々と出版されるようになります。
1818年には、14種類のクラヴァットの結び方を図解したマニュアル本も登場。
この頃から、クラヴァットは男性のエレガンスと富の象徴になっていきました。
そして、1800年代後半、産業革命とともに、よりシンプルで機能的なネックウェアが求められるようになります。
その結果、現在のような、簡単に装着でき、快適で一日中使えるネクタイが誕生しました。
スーツが「当たり前」だった時代
1940年代、ほとんどの男性は日常的にスーツを着用していました。
アメリカでは、当時の一般的なスーツの価格は約50ドル(現在の価値で約10万円)。
そして、平均すると2年に1着の割合で新調していたそうです。
スーツを着る機会も、現代と比べると圧倒的に多く、
オフィスだけでなく、スポーツ観戦や、時にはスポーツをするときにもスーツを着ていました。
ちなみに、これはアメリカのデータですが、
現代の男性は「10年に1着以下」の割合でスーツを購入し、
多くの人は冠婚葬祭などの特別な機会にしか着用しないようになっています。
スーツよりもカジュアルな服が一般的になり、時代の変化を感じますね。
ビジネス界も「スーツ離れ」へ?
近年、JPモルガンやゴールドマン・サックスなどの金融機関でも、
オフィスのドレスコードを緩和する動きが広がっています。
ゴールドマン・サックスが社員に配布したメモには、
「カジュアルな服装がすべての場面で適しているわけではないが、
顧客の求めるスタイルに合わせた服装を心がけるように」
と記載されており、スーツを着ることが必須ではなくなりつつあることが分かります。
時代が変わり、**「堅苦しいスーツを好まない顧客」**も増えているのかもしれません。
とはいえ、
銀行員や政治家など、ビシッとスーツを着る職業はいまだに多いですよね。
スーツには、人に与える信頼感や威厳があることは間違いありません。
ロンドンの「スーツの聖地」サヴィル・ロウ
さて、ここで改めてご紹介するのが「サヴィル・ロウ」。
ロンドンのオーダーメイド紳士服のお店が集中する通りです。
地下では職人さんたちが、オーダーメイドのスーツを仕立てている様子も見えます。
この通りは1730年代に誕生。
当初は軍人たちが住む地区でしたが、
1800年代に紳士服店が進出し、現在のような「高級紳士服の街」に発展しました。
サヴィル・ロウの有名店と価格
この通りには、数々の有名店があります。
その中から、2つの老舗をご紹介します。
- 007の作者 イアン・フレミング
- ウィンストン・チャーチル
- ウィリアム王子
価格:
- 既製服:約12万円~
- サイズ調整のスーツ:約17万円~
- オーダーメイドスーツ:約75万円~(上限不明)
最後に…
サヴィル・ロウを歩いて感じたことですが…
ウィンドウのガラスに映る自分の姿が、まるで地獄でした(笑)。
普段とは違う世界を垣間見られて、とても興味深かったです!
本日は「スーツの歴史」についてご紹介しました。